父は巣鴨、母は大森。生粋の江戸っ子?として東京都で生を受ける。
幼い頃から活発で男勝りな性格。
サラリーマンの父は転勤族で、小学校のときに2度の転校を経験しました。
しかし、本来の明るい性格からすぐに周りと打ち解け、常に学級委員を務めていました。
また、絵を描く事が好きで、写生大会ではいつも賞を取っていました。
ピアノもたしなみ上野の文化会館で発表会も数回経験しました。
でも、小学校の卒業文集に私が書いた将来の夢はなぜか本気で宇宙飛行士になることでした(笑)
区立中学に入学したときに両親に買ってもらった万年筆が私の万年筆デビュー。
友人との交換日記は、主にこの万年筆でかいていました。
学校の授業はシャープペンが殆どで万年筆を使う事はありませんでした。
3年生になってからは受験勉強も忙しくなり交換日記も自然消滅。徐々に万年筆とは遠ざかることに。
都立高校時代は万年筆の姿はすっかり消えボールペンとシャープペンが主流。
そして、宇宙飛行士の夢は叶えられませんでしたが、教員になるために国立千葉大学に入学しました。
大学時代もやはりボールペンとシャープペンだけを使っていました。周りのみんなもそうでした。
万年筆との接点はほぼなし。卒業論文も教育社会学専攻という事でアンケート調査を行い、得た数字をパソコンを使って集計し、本文もボールペンで仕上げました。今思うとなんて残念な・・・
大学を卒業後2年間、希望通り千葉県で小学校教諭を経験しました。
このときの書く道具はまずはチョークです。
黒板にチョークで書いた私の文字や数字を純粋な目をした子どもたちが自分のノートに鉛筆でうつす。子どもたちが持ってきたドリルを赤ペンで丸付けする。確かプラチナのソフトペン。万年筆の姿はありません。
私は「たけのこ」という学級通信を毎週1回手書きで作っていました。転写用の紙に筆圧をかけてボールペンで文字やイラストを書き、輪転機で一気に刷る。子どもたちも楽しみにしてくれていました。
今思うと随分とたくさんかいていました。その頃の子どもたちもすっかりいい年になっています(笑)。
結婚をして他府県に嫁ぐことになり、仕方なく退職しました。やめる時の光景を今でも忘れません。
体育館で子どもたちと輪になって座り、そこでこの春で先生を辞めることにしましたと伝えようとして途中で泣いて言葉が出なくなった私を、なぜか子どもたちが励ましてくれたことを・・・一緒に泣いてくれている子もいました。本当に美しい思い出です。
別れの挨拶は、「人生は出会いがあるから素晴らしく、別れがあるから美しい」
泣かないで言えてよかった。
大学時代に私が尊敬していた方のことばです。
今でも、このことばが胸にしみます。
結婚してからは1男1女の母となり子育てに専念。
もともと花が好きだった私はこの間にフラワーデザイナーの資格や押し花インストラクターの資格を取得しました。いつか何かで役に立つはずと思って・・・
それから10年余りの年が過ぎたある日のこと、家の押入れを整理していたら中学校時代に友人としていた交換日記が出てきました。
そこで目に飛び込んできたのは万年筆で書かれた文字。私の書いた万年筆の文字でした。
読んでいたら懐かしくその当時がよみがえってきました。
いつのまにか使わなくなっていた万年筆。
すっかり私の頭からその存在もなくなっていた万年筆。
そういえばあの時使っていた万年筆はどうなったのだろう。
実家にあるかしら?それとももう・・・
「もう一度、万年筆で書きたい!」
その日記帳にかかれていたのは、そんな風に思わせる文字だったのです。
思ったら即行動の私。近所の百貨店で万年筆を探しました。
久しぶりに手にした万年筆は、ドイツのペリカン万年筆から出ていたペリカーノジュニアというものでした。
ドイツの小学生が書き方の授業で使うというその万年筆は、1,575円!
「万年筆は高いもの」という私の中の常識を覆してくれました。
そして、そのかわいいボディと書き易さですっかりファンになってしまったのです。
それから2年ほど経ち、主人の経営する会社で小売店を出すという話が持ち上がりました。
その時、すぐに思ったのは、「万年筆を売りたい!」と言う事でした。
今から4年前のことです。
おりしも世の中におしゃれな文具が増え始めていました。
普通の文具店は面白くない。やるなら万年筆やおしゃれな文具を扱うセレクトショップ的なものがいい!
そうして、生まれたのが「BUNGBOX(ブングボックス)」です。
主人の会社が御前崎にあったことから、周囲の反対があったにもかかわらず、御前崎というところにお店を建ててしまいました(笑)
この地域から考えると何だかとってもミスマッチなお店でした。
お店がおしゃれすぎて地元の人達が入りにくいなんて話もありました。
現在は、開店当初から書いているブログの効果もあって遠方のお客様から注目されるお店となっています。
オリジナル万年筆やオリジナルインク、オリジナル商品は人気も高いです。
インクの色を考えたり名前を考えたり商品を企画することは、私にとってとても楽しいことです。
もちろん私だけでなく、私を囲んでくれているブングボックスのスタッフや、大切な友人からの貴重なアドバイスもあるからこそ、出来上がったんだと思います。
当店初のオリジナル万年筆「幸せの黄色い万年筆」が発売されたのは2010年4月のはじめ。
実はこの企画は、癌で余命数ヶ月と宣告されていた私の最愛の母に贈りたいという思いから出来ました。
娘が文を考え、私が絵を描いたオリジナル絵本「ブングフォックス物語」と、12色目のオリジナルインク「ハピネス」がセットになった幸せの黄色い万年筆を、病魔と静かに闘っている母にプレゼントしたいと必死でした。
出来上がった万年筆と絵本をうれしそうに見ている母を思い浮かべていました。
でも、その願いもむなしく母は2月のはじめに亡くなりました。
これまでにも身近で人が亡くなっていましたが、母という存在はあまりに大きく、この上ないものでした。
初めてと言っていいほど味わう深い悲しみと喪失感。後悔。そして、人はいずれ死ぬという現実。
母の死への悲しみから考えた事は、自分もいずれ死ぬという事。
生まれたときから死に向かって生きているという事。
でも、母からもらった命を大切にしないといけない。
そして、どうせ死ぬなら生きてきた証しを少しでもいいから残したい。
それは、亡くなった母へのせめてもの報い。
深い悲しみの中で、これから先自分はどうやって生きていこうか考えるようになりました。
そんな時、母が書き残したメモが見つかりました。
2年前の「母の日」に私が母に贈った万年筆で書かれていました。
「薫からのプレゼントのペンで書初め 久しぶりの万年筆 気分が良かった。良く生きてきたものだ。元気で頑張ってください。」
最後の元気で頑張ってくださいって私に言っている?!
母の書いた文字。
涙があふれて止まらなかった・・・
2010年5月、いろいろあった商品をぐっと絞込み、私が大好きな万年筆を中心とする専門店としました。
万年筆でかいた字には『想い』がある。
私は万年筆でもってかく事。万年筆でもって伝える事。
そして、万年筆でもってのこす事を使命と考えるようになりました。
万年筆でかくことの楽しさや、いろいろなインクで遊ぶことの楽しさを、ひとりでも多くの人に知ってもらい、あるいは思い出してもらい、より豊かな生活を送ってもらえたらいいな!
それは、日本国内のみならず世界中の人たちに。貧窮している国の人たちだって。
「万年筆を広めたい!」
これからも私は万年筆と一緒に進んでいきたいと思っています。






